日記・コラム・つぶやき

2018年7月 6日 (金)

最新情報

うちとこの地方、JR始発から全線運転見合わせだそうな。
これは・・・・大変だ!

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2018年6月19日 (火)

無力

いくら科学が発達しようとどうしよもうないことってあります。
たとえば「命」には必ず期限があるということ。
どうあがいたって、それは受け入れなければなりません。
ただ、その「命」が突然奪われること、それだけは耐えられません。
昨日朝、大阪北部を震源として発生した地震。
わたくしはすでに勤務先でした。
大きな縦揺れがしばらく続きました。
揺れの方向、大きさから震源地が近いことは予想されました。
幸い、勤務先、自宅、実家ともに被害はありませんでしたが、この地震で尊い4人の方の大切な「命」が奪われました。
1人は小学生、あと3人は高齢者。
なんやねん!
結局弱い者を守れないんかい!
そんな無力さを感じてしまいました。涙
しかも、小学生はあいさつ当番でひとり早く登校中に自分の学校のプールの外壁が倒れたことで・・・・。
後にその外壁が建築法に違反していることがわかり、天災じゃなくて人災であることまでわかってきて・・・・。
亡くなられた高齢者の1人は見守りボランティアに出向く途中、やはり外壁が倒れてきて・・・・。
使い古された言葉で薄っぺらくなってしまいますが、どうしてこんな責任感の強い、人として当たり前のことをしようとしている善良な人が亡くならねばならないのか・・・・。
あと2人の方は自宅で倒れてきた家具によって・・・・。
建物等、人工物は時間をかければいくらでも作り直せるけど、「命」だけはそうはいかないのに。
先日「電池が切れるまで」について書いたところだっただけにこの無力感・・・・。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々へお見舞い申しあげます。
昨夜、そして今朝も余震らしき揺れが観測されています。
十分気をつけないと。

S2017112501
2017/11/25撮影の4ワンズ。
日中、この子たちは自宅で人がいない状態で待ってくれています。
正直、実家へ預けようか迷ったのですが・・・・。

S2017112502
とりあえずできるだけ早く帰れるようにしたいと思います。

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2018年6月16日 (土)

改めて

「命」について考えてみる。
平成14年11月20日 初版発行
平成15年2月10日 六版発行
編者 すずらんの会
協力 須田 治
発行者 福田峰夫
発行所 株式会社角川書店
印刷所 旭印刷株式会社
製本所 本間製本株式会社
タイトル【電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ】
冒頭を引用させていただきます。
”長野県立こども病院(長野県・豊科町)には、長期入院している子どもたちが学ぶための院内学級があります。この本におさめられているのは、小さな身体で精一杯、病気と闘いながらも、院内学級では仲間と楽しく学ぶ子どもたちの輝く言葉です。”

そして、子どもたちの言葉の一番最初に掲載されているのが宮越由貴奈さん(当時小学4年生)の「命」と題された詩です。以下、引用します。


命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

本には由貴奈さんのお母さんの言葉も掲載されています。引用します。
”五歳の時、神経芽細胞腫と診断され十一歳で亡くなりました。
 信大病院での抗ガン剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、こども病院に移っての自家骨髄移植やその他にもいろいろなつらい治療を受けながら、入退院を繰り返していた頃、書いたものです。命という作品を書いた頃、テレビで流れるニュースと言えば、いじめだとか自殺だとかが多く、同じ頃病院では、一緒に入院していた友達が何人か亡くなりました。生きたくても生きられない友達がいるのに自殺なんて・・・・・・そんな感じでした。それにちょうど院内学級で電池の勉強をしたばかりだったそうです。この詩を書いた四ヶ月後に亡くなりましたが、これに書いたとおり充分精一杯生きました。書くことがそんなに得意ではなかった娘のこの『命』という詩は十一年という短いけれども凝縮された人生の中で得た勉強の成果なのではないかと思います。”

もちろん自ら死を選ぶ人の中には様々な原因があり、必ずしもその人を責められない(責められるべき人が他にいる)こともあるでしょう。けれども、たとえそうだったとしてもお願いだから立ち止まって考えてみてほしいと思います。
さて、今年うちでは12月に「中村美幸さん」をお招きして講演していただきます。奇しくも、先の本に登場する子どもたちが入院していたほぼ同じ時期に、生まれて1年あまりの息子さん、渓太郎くんが同病院に入院されていたことを相方さんと訪れた講演会で知りました。渓太郎くんは字を書くことはもちろん話すこともできない時だったことを思うと、何とも言えない気持ちになったものです。渓太郎くんが話せればその痛みや不安、不満を聴くことができたでしょう。お母さんである美幸さんも思いをしっかりと伝えることもできたでしょう。そうできることが返って辛く苦しくなることもあるでしょうけど・・・・。でも、美幸さんはそうできなかったからこその辛さ悲しさ苦しさと同時に、言葉ではなく「存在」としての渓太郎くんの「命」や「思い(願い)」を感じ取れたのかも知れないなあと。当事者ではないわたしには想像もできませんが、少しでもその思いに近づければと思いますし、子どもたちにも伝えたいなあと・・・・。

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2018年2月25日 (日)

日曜日夜

平昌オリンピック、すべての競技が終わり、あとは閉会式を残すのみとなりました。
オリンピックは出場するだけでも並大抵の努力では果たせません。
ましてやそこでメダルを獲るなんてことは、実力だけではなく運にも恵まれなければ果たせるはずがありません。
もちろん、その運を引き寄せるのもまた実力であり、運を引き寄せられるだけの準備をしていなければなりません。
今回のオリンピックで結果を残せた選手、思うような結果が残せず悔し涙を流した選手、そしてその選手を支えたまわりの多くの人たち、本当にお疲れさまでした。
選手、スタッフのみなさん、胸をはって帰ってきてください。
そして、4年後を目指す選手、別の形で関わっていく選手、このあとの進む道もまた様々だと思いますが、どうかこの経験が生きますよう、お祈りいたします。
一生懸命がんばる選手のみなさんにたくさんの感動、勇気をいただき、本当にありがとうございました。

https://www.asahi.com/olympics/2018/pdf_extra/

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ひとりごと

平昌オリンピック、女子スピードスケート、女子カーリングの選手たちのテレビインタビュー、各局ごとではなくいっせいにしてあげたらと思う。
あと事前に質問内容も吟味して、ざっくりとでいいから伝えておいてあげられないのかな。
中身のない質問やどこの局もが同じ質問してるのを見るとメダルを獲得した選手へのリスペクトというか思いやりが感じられない気がする。

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2018年1月23日 (火)

愚痴

今朝のニュースで「働き方改革」ってぇワードが出てました。
そもそも働き方を改革するってどういうこと?
個人的に、あくまで個人的には、今の文明社会を維持するためにはどこか、誰かにしわ寄せが行くのは当たり前だと思っています。
休日や祝日に営業している店舗、交通機関はこれまでもズッとそうだし、便利の裏側には必ず不便というか、その便利さを支えるために無理をしている人がいることは当然でしょう。
先日SNSで書いた教員の負担についても、IT機器の発達により確かに効率化された部分はあります。
でも一方で今までやりたくてもできなかったこと、手間がかかりすぎていたことができるようになってしまい、結果として仕事の量は減らないばかりか増えてしまっている。
しかも、その仕事がその人、その業種だけで完結するのであれば、覚悟さえあればできます。
その場合、誰もブラックとは言わないでしょう。
ただ、そのことが他の人、業種の仕事を増やしてしまう場合、絶対的に負担増になることぐらい誰の目にも明らかです。
それも、IT機器等により、効率化されて作られたものを手作業で処理しなければならない場合、悲劇としか言いようがありません。
具体的には職人さんによる制作物、手作業でしかできない調査活動や集計活動、人に接する仕事等々。
それらを効率が悪いからと言い切ってしまっていいのでしょうか。
少なくともそういう人たちがその仕事に誇りが持てる、やりがいを感じることができ、生業として不自由なく生活ができるようにすることが本当の意味での「働き方改革」なんじゃないのかな。
便利さ、とりわけ交通機関や電化製品等に慣れきってしまった現代のわたしたちにはとうてい後戻りはできないでしょうが、発展途上国と呼ばれる人たちの、ものはないけど穏やかでゆっくりした時の流れを感じるような生活、自分のペースで生きられる生活に近づけるような、でもそれが自分勝手、わがままではない、そんな社会は単なる夢物語なのでしょうか。
ま、理想そのものが人それぞれで違いますから、夢物語だという人がいても否定はしません。
でも、理想を追い求めることをしなくなったら、それこそ進歩、進化は止まってしまうでしょう。
正直、今これを書いている自分自身、何が正解なのかはまったくといいほどわかっていません。
だから考えてしまうんです。
そうそう、うちの勤務先の1年間の勤務状況についての職員アンケートの項目に「気持ちよく仕事ができたか。」というのがあります。
「気持ちよく」・・・・、できてないよな。
もちろん、時々に喜びや達成感はあったかも知れないけれど、年間通してということになるともっと気持ちよく働ける、そんな手立てがあるような気がしてね。
長々とわけわからん文章にお付き合いいただいた方、ありがとうございます。

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2018年1月 7日 (日)

星野さんとうちの相方さんとの縁

うちの相方さんは愛知県出身。
名古屋の大学付属施設に勤務していたとき、偶然にも星野仙一さんやそのご家族とのご縁があったとか。
最初に聞いたときにはただただビックリでした。
そんな相方さんが星野さんについて綴ったblog。
リンク、貼っておきますのでよかったらご覧ください。

「夢…星野仙一さんを偲ぶ」
https://ameblo.jp/lepetitchateaufleurs/entry-12342403715.html

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2017年12月27日 (水)

またまた

部活指導について。
夕方のニュースで、大阪市が専門の臨時職員を各校1人付けて部活指導について検証するって。
それって検証するのは何?
職員の勤務時間が減るかどうか?
指導による子どもたちの実績が向上するかどうか?
あるいはその両方?
いずれにしても、1人付けたところで何が変わるのでしょうかね。
このことについては、何度か書いているように予算がからむので簡単に人員を増やすことなどはじめから不可能でしょ。
必要な人数を増やすためには、根本的に教員定数を変えないとね。
部活動の指導については、もちろん行き過ぎた指導や指導論理そのものが変わってきていることもあり、指導する側ももちろん勉強しないといけません。
ただね、ふと思ったんですけど、学校行事で「合唱コンクール」を行っているところってけっこう多くないですか?
そういった学校って、すべてのクラス合唱専門の先生が担任ですか?
音楽科の先生が、授業時に指導はしてくださるものの、音楽の時間数そのものが週に1回程度の中、ほとんどは専門ではない担任の先生じゃないのですかね。
そりゃあ部活動と合唱コンクールでは目指すレベルや取り組む期間が違いますよ。
でもね、子どもたちになにがしかの成功体験、がんばったという体験をさせるってことについては同じでしょって話。
得意不得意にかかわらず、がんばることの大切さを教えるんですよね。
なのに、指導する側ができるできないでやるやらないを決めるのっておかしくないですか。
何度も言うように、極端なことは言うつもりはありません。
それでも私立学校の場合、そういう極端なことをしているところが多いわけでしょ。
そこには触れず、限られた時間、限られた予算の中でなんとか子どもたちにがんばらせよう、がんばったらいいことあるかも知れないよって教えようとしている者のじゃまはしないで欲しいな。
前述の合唱コンクール、はっきり言って部活がんばってる先生のクラスって、やっぱり上手に子どもたちを乗せてがんばらせてはりますよ。
それに引き換え、そうでもない先生のクラスってやっぱりってこと多いですよ。
あくまでもわたくしの経験上ですけどね。
部活指導(成果を上げるってことだけではなく、子どもたちをやる気にさせるってこと)が学級経営の手腕を上げることにも影響するとわたくしは思うんですけど・・・・。
今年最後の愚痴でございました。笑笑笑

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2017年12月 4日 (月)

いろいろ思うこと

一昨日昨日と、部活動で試合に行き、そこで出会った先生方と話していた思ったこと。
学校の部活動がブラックブラックと言われ、その活動に様々な制限が加えられようとしている昨今。
本気で部活動がやりたいと思っている子どもたち、また指導したいと思っている先生方の思いはどこまで考えられているのだろう。
週に一度は休養日を設けるとか、土日のいずれかは必ず休みにするとか、そういったことを一律に何が何でも守らせる必要があるのだろうか。
競技による特性にもよるし、年間、あるいは中学校での3年間(実際は1年生入学後5月ぐらいから3年生8月までのせいぜい2年と3ヶ月)を通してどれだけの時間、練習できるのかまで考えないといけないように思う。
学期に2回、通常定期テストが行われ、その前1週間は部活動は停止するし、様々な学校行事や教員の研修・会議でも活動禁止になる日がある。
もちろん勤務時間の問題が一番大きいのだろうけど、それとてやりたい者、できればやりたくない者、やりたくてもやれない事情を抱えた者がいる中で、やりたくない者に基準を合わせる必要があるのだろうか。
やりたい者は、たとえ超過勤務になっていても文句は言っていないはず。
むしろ、子どもたちのやる気や技術レベルに応じて、もっとやりたい、やれるのにと思っている者が多いのではないだろうか。
一方で、家庭学習をもっとさせろとか、個人的に塾等へ通う子たちは夕方6~7時頃から10~11時まで拘束されている。
それこそ休養日がないぐらい塾通いしている子もいる。
個性を認め、伸ばすと言いながら、学習面では半ば強制し、スポーツや文化的な活動には制限を加える。
根本的に矛盾していないだろうか。
さらに、高校進学に関わる選抜においても推薦基準に学習だけではなく、特別活動(ほとんどが部活動の実績)が設けられていたり、本県ではさらにスポーツ・文化活動枠での推薦が昨年度から新たに設けられている。
結局は家庭や子どもたち個人の責任で、塾や社会体育で活動しろということなのだろうか。
そうなれば今以上に、経済的に恵まれた者だけがその恩恵にあずかれることになるだろう。
そういうことをなくすために、公共教育は様々な方策を立ててきたのではないのか。
もちろんそういった中で、教職員のボランティア的姿勢、活動に頼ってきたことも事実ある。
だからといって、そこに制限を加えることが正しい方向なのだろうか。
詰まるところ、教職員の数、報酬面といった部分で明確な対策が講じられないから、その場しのぎの制限を加えているようにしか思えない。
はっきり言って、わたしが見ている卓球部では、学習や通常の学校生活で自信が持てず、目立つこともない子たちが、たまたま入った卓球部で「自分だってがんばればできる」と自信を持ち、部活動があるから勉強は苦手だけれど学校へ来ているような子もいるし、過去にもいた。
そんな子たちのがんばる場を奪うようなことだけは絶対にしてはいけないと思う。

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2017年9月 3日 (日)

早すぎ!

午前3時、わたしが目を覚ましてしまいました。汗
だからといって起き出すと女の子チームが勘違いしそうなので、ソッと息を潜めていました。笑
でも、一度目が覚めてしまうとなかなか寝付けず・・・・。
するとついに恐れていたことが。
ポロンさんがどうやらわたしが目覚めていることに気がついたようです。汗々
で、吠え始めたんですよねぇ。
こうなるともう収拾がつきません。
クッキーさんも間髪入れずに加勢。
何とショコラさんまで起き出す始末。
仕方なく超早い朝食を与えました。涙
というわけで、4ワンズは何とか落ち着きました。笑

S2017090201
こちらは昨夜の様子。
マロンさん、クッキーさん、ポロンさん、ネムネム。

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マロンさん、クッキーさんのアップ。
なかよく寄り添っております。

S2017090203
ポロンさんアップ。

S2017090204
ショコラさんアップ。

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で、こちら二度寝中のクッキーさん。
目は開いてます。

S2017090302
ポロンさん。
熟睡?

S2017090303
マロンさん。

S2017090304
そして、ショコラさん。

さてとこのあとは「テレメンタリー2017」と「日本のチカラ」ですな。笑

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