日記・コラム・つぶやき

2018年12月 8日 (土)

大切なもの

昨夜、公開時にちょっと興味があったある映画がノーカット地上波初放送というCMを見て、思わず見てしまった。

DESTINY 鎌倉ものがたり

柄にもなく、こういうファンタジーが好き。笑
この物語の中で、「大切なもの」ってなんだろう?
ってことを改めて考えさせられたなあ。
それは、家族(一緒に暮らす生き物含)であったり、友人であったり、あるいは長く使っている物理的なモノ・・・・であったり、人それぞれだろう。
もちろん、命ある「家族」等の人、一緒に暮らす生き物が大切なのは当然だが、個人的には「モノ」 であっても全然かまわないと思う。
「モノ」には必ずその「モノ」にまつわる大切な思い出(暮らしであり、生き生きとした命のきらめき)があったはずだから。
この物語でも、主人公、堺雅人さん演じる一色正和が鉄道模型や熱帯魚、そして鎌倉という街そのものをとてもとても大切にしていることが描かれていた。
また、高畑充希さん演じる亜紀子が、自身の命(というかこの世での存在)よりも、夫である正和を大切に思っていることも・・・・。
この映画を見ていて、全編にほのぼのとした古き良き日本の文化・習慣というか、自然に存在するもの、それらの「モノ」にも命を与えて妖怪として描かれていたようにも思えた。
こういったほんわかとしたやさしさ、ゆるさみたいなものが今のわたしたちの生活には一番欠けているのではないかと・・・・。
何でもかんでも合理性や効率を追い求め、結局最後の頼みは「お金」みたいな今の世の中ってどこかで見直さないといけないのかもなあ。
この映画、一色夫妻以外には死神(安藤サクラさんだったんだ!)がいい味出してたし、本田さん(堤真一さん)の家族への思いもグッと来るものがあった。
最後どうなるのかなとちょっとドキドキして見てたけど、いわゆるハッピーエンド(前世から、いや前々々世から・・・・ズッと夫婦だったこともちょっとホロッときたが)だったこともあって、強烈な感動、インパクトはなかったかも知れないけれど、ホントにほのぼのとしたいい映画だったと思う。

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2018年12月 6日 (木)

振り返り

昨日の中村美幸さんの講演で話された内容を・・・・。

本当の幸せは、足元に落ちている
https://ameblo.jp/miyu-briller/entry-12382413249.html

「悲しみも幸せも、自分だけのものではない」と教えてくれた少女
https://ameblo.jp/miyu-briller/entry-12381289230.html

幸せを運ぶ四葉のクローバー
https://ameblo.jp/miyu-briller/entry-12271849257.html

特にふたつめのお話に出てくる少女。
実はわたくし、その少女を美幸さんに会う前から知っていました。
新聞広告だったかで知った「電池が切れるまで」という長野県立こども病院に入院している(していた)小児ガンを患った子どもたちの詩集というか作品集みたいな本。
その子の名は「まさみ」ちゃん。
まさかその子と渓太郎くん、美幸さんがそんな深く強い関わりがあったとは・・・・。
まさみちゃんは中3で受験生だったそうです。
入院していて抗癌剤治療等もあり、勉強がはかどらなかったはずなのにそれでも将来を見ていたそうです。
「小さな子が好きだから、保育士になりたい!」
と。
その目標をかなえるために苦しい状況でも勉強がんばってたって。
「電池が切れるまで」のお父さんの手記にもありましたが、まさみちゃんは受験することなくこの世を去りました。
最後はおとうさんに抱かれて
「幸せ、幸せ!」
とつぶやきながら・・・・。
ホントに、こどもの純粋さ、純粋だからこその強さ、やさしさに圧倒されてしまいます。

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2018年12月 5日 (水)

中村美幸さんの講演会

無事終了しました。

Simg_1953
会場が暗かったのでちょっと色合いが・・・・。
このあと聴く方に徹していたので写真は撮ら(れ)ず!

やっぱり実体験からくる気づきは違うなぁ。
むしろ気づきと言うよりも、一種の悟りに近い気もします。
美幸さんのblog、書籍を読ませていただいてるので、話されたエピソードについては知ってるんですけど、実際に声として聴くと初めて聴いたときの何というか心の底から揺さぶられるような感覚を思い出します。
斜め後方あたりから聴いていたので気がつきませんでしたが、涙ぐんで聴いている子もいたと美幸さんから聞きました。
美幸さんをお迎えに行ったときには、本市の小児医療センター前を通るルートを選んで、見た雰囲気が長野のこども病院と似ていませんかという話もさせていただきました。
おそらく子どもたちに少しでも心おだやかにという意味合いから、ああいった建築デザインになっているのかなあと改めて感じました。
この講演を聴いた子どもたちが、何をどのように感じ取ってくれたかはわかりませんが、命のきらめき、その尊さについて、少しでも思いを巡らせ、どんなに苦しくしんどくても、生きていること、存在していることそのものが幸せであり、愛なのだという美幸さんの思いを感じ取ってくれたらといいなと思っています。
そして今後、学校等の教育機関で講演をしていただける機会がもっともっと増えていくことを願っています。
この場をお借りして、改めてお礼申しあげます。
美幸さん、本当にありがとうございました。

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いよいよ

本日午後、中村美幸さんの講演会。
演題は、

「自分も人も大切にするために」
~天使になった子どもたちがおしえてくれたこと~

残念なのは、2学期末のこの時期、後半に三者懇談会等を控えていることもあり、例年どうしても保護者の出席が少ないこと。
美幸さんのお話は、子どもたちはもちろん親世代の方たちにも聴いて欲しい内容なだけに。
せっかく長野から来てくださる美幸さんにも申し訳ないなと思いつつ。

わたしが美幸さんをすごいなと思ったのは、うまく言えないけどとにかく「普通」の人だということ。
お子さんを生後500日あまりで小児ガン、それも極端に症例の少ない病気で闘病後亡くされ、その期間中はある意味「自暴自棄」になったり、他の健康な子に「嫉妬」したり、ときに「憎む」ような気持ちを持たれたことをそれこそ普通に話されたから。
でも、そういった負の気持ちだけでは自分自身が救われないし、何よりも渓太郎くんがこの世に生を受けたことの意味すらなくなってしまうことに、同時期に入院していた子どもたち、医師や看護師といった様々な人たちとの関わりの中で気づかれたこと。
その心の動きがとてもとても説得力があったから。
もちろん今も渓太郎くんとの別れの辛さ、苦しさ、悲しさ、もっとできたことがあっただろうという悔いのようなものはお持ちに違いないだろうけど、そういったことまでも明るく語られる姿は自分自身の生きる力になる気がします。
そうそう、某アヒルの保険会社がやってるCMでガンから回復した若い男性、女性が明るく当時のことを語っているのとダブル気がするんです。
人って弱いんだけど、強い。
そんな矛盾するけど、事実みたいなのを間近で見ることができる、聴くことができる。
そんな機会になればと思っています。
残念ながら、今回来られなかった方たちにも、いつか機会があれば美幸さんのお話、聴いて欲しいなと思いつつ・・・・。

https://ameblo.jp/miyu-briller/

https://miyuki-nakamura.com/

https://profile.ameba.jp/ameba/miyu-briller

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わからないこと

年末になり、バタバタしている今日このごろ。
外国人労働者の受け入れについて国会が混乱しているようですが・・・・。
労働力が足りない・・・・から?
でも、一方で大量の雇い止めが某企業で行われているとの報道も。
この矛盾はいったいどこから来ているのだろう。
わからないことが多すぎる。
少なくとも報道を聞いた限りでは、正規雇用にするよりも期間限定にする方が、雇う側の負担は少ないのはわかる。
だとすれば、現在論議している国会議員の方たちは、雇う側の都合だけを考えて法案を通そうとしているということなのか?
安く雇って、取っ替え引っ替え部品のように労働者を変えていけるように。
そもそも労働力って本当に不足しているの?
自分が学生の頃を思うと、道路工事の警備員とか若者のバイトだった気がするが、今はシルバー世代の方たちが圧倒的に多い。
シルバー世代の方たちの中には働きたくて働いておられる方ももちろんいるだろうし、若者たちがそういった体力的に厳しい仕事をしたがらないというのもあるのかも知れない。
また、年金問題があって働かざるを得ないシルバー世代の方もいるだろう。
そのあたりの根本的な課題、問題を解決しようとせずに、ただその場しのぎのことだけなのだとしたら・・・・。
単純に考えたら、報酬を上げれば若者だってもっと働こうとするんじゃないのと思ってしまうんだけどね。
特に、介護職や看護職、保育士等々、明らかにその負担と報酬のバランスを欠いている職業で・・・・。
そのために法人税等が一般個人の税より負担が軽くなってるんじゃないの?
結局一極集中で儲けさせるためだけの施策を充実させて、本来の個々人の生活がないがしろにされているように思えてならないんだけど。
それってやっぱり国会議員の後ろ盾がそうだからなのかと。
本気で国民一人ひとりのことを考えている議員はどこにいるんだろう?
と珍しくまじめに書いてみた。

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2018年12月 3日 (月)

独り言

あおり運転の裁判、今日からだそうな。
この裁判については、隣国の裁判所のように世論の思いというか反感みたいなものを生かした判決を出し欲しいと思ってしまう。
普通に考えて、高速道路の追い越し車線に停車させたら追突される恐れがあることぐらいわかる。
普通の感覚の人なら路側帯に止めるのですら怖いのだから。
危険運転ではなく、未必の故意による殺人事件だろう。

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2018年11月28日 (水)

中村美幸さんの講演迫る!

amebaトピックス
グノシー
grape
と連続して取り上げられている美幸さんのblog。
その中で、目からうろこの言葉。

”明日を保証されている命がどこにもないように、期限が確定されている命などどこにもない。
すべての命が不確かなのだと・・・。

「不確かだから信じられない」私に、「不確かだからこそ信じる」姿勢を示し続けてくれた医師。
保証されていないことは、「絶望」ではなく「希望」なのだと・・・。”

ぜひご一読を!
そして来週水曜日、美幸さんの講演会開催です。

https://ameblo.jp/miyu-briller/entry-12421769925.html

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2018年11月 9日 (金)

ある女子高生の話

知らなかった・・・・。
それにしても、これって身体を痛めつけたり、精神的に追い詰めたりする競技スポーツといったい何が違う?
むしろスポーツ以上に過激で厳しいんじゃないのかな。
先日の駅伝で、はいつくばって襷をつないだことを批判的に見る人たちはこの子をどう見るんだろう。
そこまでしなくても楽しく弾けばいいなんて無責任なことが言えるのだろうか。
記事中にも出てくるけど、音楽科は7~8割ではダメ、120%でないとという言葉をどう聞くのだろう。
わたしは、賭けることがあるって幸せだと思うし、賭けることができない世の中にはなってほしくないと思うんだけど。
あとひとつ疑問に思ったのは、これって症状が進んで両手が自由にならなくなるってことはないのかなって。
仮にそうなる可能性があったとしても、この子は「今、この瞬間輝く」ことを選ぶんだろうなと思う。

【特集】左手だけのピアノコンクール 闘病の女子高生に密着

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181108-10000001-mbsnews-l27&p=1

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2018年10月23日 (火)

プリンセス駅伝2018

大きなアクシデントが2件あった。
テレビで観戦していたので、その一部始終を見ていて思ったこと。
1件目は2区。
岩谷産業の飯田怜選手が中継所まで残り200m以上残したところから赤ん坊のはいはいの状態で襷をつなごうと懸命に進む姿が飛び込んできた。
モニターで見ていた監督はすぐに棄権させるために、役員を通じて連絡を取ろうとしたそう。
ところが、連絡がスムーズに行かず、近くの役員にその旨が届いたときには中継所まで30mぐらいだったそうだ。
そこで、選手本人に確認したところ、襷をつなぎたいとの意思表示があり、仕方なく見守ったとのこと。
映像からも役員の心配そうな様子が伝わってきて、選手はもちろん、役員の方もとても痛々しく思えた。
最終的に第3走者に襷はつながった。
はって襷をつなごうとする飯田選手を待つ選手は何度も涙をぬぐっていた。
2件目は3区、前半のエース区間。
三井住友海上の岡本春美選手が前半、快調に飛ばしトップを走る。
ところが折り返し地点を前に、急に変調を来す。
フラフラと蛇行し、折り返し点でもないのにUターンし走ろうとする。
役員に促されて、正規のルートに戻り、懸命に走り続けようとするが結局残り1kmでおそらく熱中症による脱水症状で棄権となった。
まず1件目の問題点は、棄権させるさせないではなく、連絡がスムーズに行われなかったというただ一点。
もし、倒れてすぐの地点だったら、飯田選手は監督の指示に従って棄権したかも知れない。
でも、残された距離を考えるとむしろ棄権しない選択をした可能性の方が高いと思うのはわたしだけではないだろう。
とりわけ競技スポーツ、それも駅伝のような団体競技を経験した者ならなおさら。
監督の立場からすれば、棄権という選択しかないと思う。
でも、走っている選手は何が何でも襷をつなぎたいと思っているはずだし、それぐらいの気概がないと逆に選手としてはどうなんだろうと思ってしまう自分がいる。
事実、青山学院の原監督は「すぐ棄権させる」と仰っていた。
が、当の青山学院の選手は「何が何でも襷をつなぐ」と言っていた。
監督の指導がちゃんと入れば入るほど、ああいった状況では監督と選手の意見は食い違うということかも知れない。
2件目。
こちらはもう少し早く監督なり医療関係役員が判断すべきだったと思う。
岡本選手については、身体が不自由なお姉さんのことがこの中継内でも取りあげられており応援していた。
だからこそ、岡本選手自身が多少無理してでも、身体が動く自分は何が何でもがんばらなければという強い、強すぎる意志があそこまで走らせたのだと思う。
ネットやマスコミで、この2件のアクシデントについて、「そこまでして走らなければならないのか?」といった意見があり、美談にしてはいけないということを言う人もいる。
でも、ちょっと待て!
競技スポーツというのはたいていそんなものだということがわからないのか。
記録を塗りかえるためには大なり小なり、限界を超えようとする厳しい練習が必要であり、そのために身体中のいたるところに通常の生活では考えられない負荷がかかる。
その負荷に耐えられるように、選手たちは日々鍛錬し、偏った負荷がかからないように、合理的・科学的な手法でフォーム等も研究しているはずなんだ。
それでも、相手がある以上、相手の出方といった戦術的な部分で想定以上の負荷がかかる場合だってある。
天候の影響、自身の体調・精神状態からの影響だって大きいだろう。
そんな選手たちのその日に賭けた思いを知らずに、ただただ状況だけ見て判断してもらいたくないというのが正直な気持ち。
美談にしてはいけないという意見には賛成というか、選手たちにとってはああいった状況になることは美談でも何でもないはず。
むしろ自身の不甲斐なさに悶々としているのではないだろうか。
飯田選手は右足のすねの剥離骨折だったそうだ。
疲労骨折の類いだろうけど全治3~4か月は辛いだろう。
もし、棄権していたらおそらく精神的にもっと辛い日々になったかも知れない。
選手ってそんなもんだと思う。
岡本選手だって、チームを牽引する立場としても走れる限りは走りたかったはず。
それを、あんなアクシデントが起こるような駅伝なんかやる意味があるのかという意見が出てくることにわたしは驚きを感じる。
もう一度言う。
運営面、選手の安全面に関する連絡経路をスムーズにすること、これは絶対に1か月後に開催される「クイーンズ駅伝」では徹底してもらいたいと思う。
ただ、選手の安全をおもんばかる余り、選手の意思を無視した判断等(もちろん「命」に関わると医療関係の役員が判断する場合は別!)は絶対にしないでもらいたい。

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2018年10月12日 (金)

悲しい事件

http://news.livedoor.com/article/detail/15426929/?_clicked=social_reaction

昨日から頻繁にテレビで放送されているこのニュース。
わたしはこのニュースはすでに知っていたと、昨日SNSに書いた。
たぶん亡くなられてそう経たないときに取り上げられていたから。
遺族は訴えを起こすまでに、それこそ事務所と話し合いであったり、当時の状況の真実を知ろうとする動きはあったはず。
それでも納得がいかなかったから今になっての訴えだと思う。...
この記事に対して、親の責任を問う意見、家庭の経済状況はどうだったんだ、金目当てではないのかとか、死を選んだ本人に対する意見等々、遺族や被害者側を責めるような書き込みも見られる。
ことの真実はわからないけれど、少なくとも未来ある若者が自ら死を選ばなければならなかった、それほど追い込まれていたことは間違いない。
心の強さは人それぞれ。
また、心の弱点も人それぞれ。
彼女に死という引き金を引かせたのは間違いなく「大人」!
そのことを置いといて真実は絶対にわからない。
遺族はそれこそ誰に言われるまでもなく、自分たちを責めている。
常識的に考えて、事務所側だって、あのときのあの言葉がとか、あのやりとりがとかは絶対にあるはず。
もし本当にそういった意識がないのなら、人を使う、それも明らかに世間を知らない若者を使う仕事をする資格はない!
そのことは芸能活動に限らず、すべての仕事において仕切り役となる大人に言えることではないのか?

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